井手口です。

今夜のブログは
いつもより少しだけ長いです。

どうぞお付きあいください。

 

私が仕事をする理由①

この記事を
たくさんの方に読んで頂けたようで
色んなお声が届きました。

ありがとうございます!

皆さんからの声をまとめると
こうなります。

雅恵さんって足が大好きなのね!

(笑)

そうですね!
その通り!!足が好きです(笑)

みなさんが揃って
「人前で足なんて見せられない」
「恥ずかしい!」

そんな風に言われる足。

誰もが
なんとか他人に見られまいと
隠そう隠そうとする部分を

(私へは見せてくれるんだなぁ)

(触ることを許してくださるんだなぁ)

って

人様の足へ触れるたびになんだか
すごーく
愛しい気持ちになるのです。

恥ずかしい足を
私へ見せてくださりありがとうございます。

光栄です!

————

今夜は、あなたへ、まだ
話していなかったことを話そうと思います。

私がこんなにがむしゃらに
仕事をする本当の理由。

足のことを仕事にするまでの
長い長い、経緯の話。

– – – – –

私は生まれが長崎で

パートナーの転勤が東京へ決まり

30歳を目前に長崎で挙式をし
2000年10月に上京しました。

結婚後のイメージはというと

結婚したら赤ちゃんを授かり
産んで、子育てをしていく。

休日には家族でバーベキューとか
キャンプとか
海水浴とか
自然の中へ出掛けて
家族みんなでワイワイ!

子どもが多い方がいいなぁ…とかね

専業主婦でいることにも
なんの疑いもなかった。

母がそうであったように。
義母がそうであったように。

結婚して
2~3年経った頃

親からも
「そろそろ孫の顔が見たい」とか
言われはじめて

そうだねー
授かり物だからその時が来たらねー

なんて、軽く受け答えしていた。
夫婦間でも軽く捉えていた。

だけれども

望んでいるにも関わらず

なかなか授からなくてね
病院で検査もしました。

評判のよい産婦人科の
有名な女医さんを訪ねた。

お医者さんは言ってたよ。

「二人とも
全くと言って良いほど問題がなく

むしろ健康すぎるほどなのに。

何故でしょうね??」

何故でしょうね?
って…

こっちが聞きたかった。

待てど暮らせど
赤ちゃんは、来なかった。

会社の仕事が忙しくて
帰宅が遅い旦那さまの帰りを待つ日々は
退屈でした。

暇をもて余す毎日で
家中を磨きまくっても
家事をやり尽くしても、まだ、余る。

余りにも退屈なので、アルバイトへ出かけた。

新しい土地・東京には、
まだ
たったひとりの友人も居なかったから。

東京へ出て来て初のアルバイトは
シュークリーム屋さん。
ビアードパパで働きました。

朝番だったから
毎日大量のカスタードクリームを作った。

カスタードクリームを作るのに
大きなボウルで
何キロもの卵黄を泡立て器で攪拌していたら

案の定、すごい肩凝りになり

駅前のクイックマッサージへ駆け込んだところ

ガッチガチに固まった僧帽筋を
闇雲にグイグイ揉まれ

まんまと揉み返しがきて
帰宅後は
吐きそうなほどで、起き上がれず
ひどい有り様でした。

翌朝
「起き上がれなくて、バイトに行けません…」と
マネージャーへ電話したら

「井手口さん、鍼やったことある?
鍼灸は即効性あるし
身体の負担がないから良いよ。
どこか探して行っておいで」

とススメてもらい

うっすらと記憶にある
最寄り駅から自宅への帰り道に
確かあったはずの
「はり、灸」の看板を頼りに

藁をもすがる思いでたどり着いた。

そちらが後に
アシスタントをさせていただくようになった
鍼灸の治療院です。
花小金井 ラポール治療院

院長先生から
人手が欲しいとのお声がかかり

ハードワークの
シュークリーム屋さんは辞め
治療院でのアシスタントをさせていただくようになりました。

院長先生は、
鍼灸を「不妊治療」に用い
食事のことや歩くことなども含め

「からだづくり」の指導をなさっていました。

訪ねてこられる方へは

『【不妊】ではなく【未妊】ですよ』

そう お話しされていた
院長先生の言葉が印象深く記憶に残っています。

私も院長先生の「未妊」治療を受けることにした。

常に身体を温めて
たくさん歩き
ときどき断食に取り組んだり
ヨガをやったりしていました。

院長先生は
お灸で逆子治療もなさっていたので
治療院へ妊婦さんがお越しになることも度々ありました。

大きなお腹を抱えた妊婦さんを
ベッドへご案内し

身体を横にしやすいよう
抱き枕の使い方をお教えしたり

お腹を冷やさないように
タオルを掛けたりして
治療へ訪れる妊婦さんへ触れました。

妊婦さんが来院された日の私は

アルバイトが終わっての帰宅後

決まって
わんわん泣きました。

私だけでなく
こんな 思いをしたことがある人は
多いと思います。

妊婦さんを見かけた日は
自宅で泣く。

フォーカスしているから、
なおさら
妊婦さんが目につき
毎日、毎日、泣いて暮らしていた。

そんな暮らしが
あまりにもツラくて

ある日
同じように「未妊」で
治療院へ通って来られていて
親しくなった方へ
私の胸のうちを打ち明けました。

その方は同世代で
家も近くて、一緒にヨガをしたり
ランチに行ったりする仲だったし

私の胸のうちの苦悩を
さらけ出すことは
躊躇がなかったのです。

彼女は言いました。

『雅恵ちゃんは、
何も気にしなくていい。

それは、当たり前の事だよ。

涙が溢れて来るのは、むしろ、正常。

30代半ばの女性がね

本当ならば
手元にあるはずの愛の形が
手元にないのですから。

どういうことか、分かる?

雅恵ちゃんのその涙はね、

雅恵ちゃんの【母性】なの。

最も母性が充実する
30代半ばの女性に
母性のやり場がないんだよ。

母性が、溢れてくるんだよ。

仕方がないんだよ。』

それを聞いて、また、わんわん泣きました。

(自分の意思とは関係がない)
と、彼女は言った。

動物として、
母としての、本能的なものだと。

気に病むことはない、と。

この頃は
子どもを授からない自分を責めて責めて
毎日泣いて暮らしていたから。

(仕方がないんだよ)
(本能だから)

そう言われて、ふっと、

肩の荷が降りた気がして
心が、すうーっと楽になりました。

上京してからというもの
日々会社に忙殺されているパートナーへ
寝ている間、足なら触ってあげられるからと
学び始めたリフレクソロジーに
どんどん、のめり込んでいきました。

そうやって
夢中で学んでいる間は、楽だったから。

本音で話せる友だちは皆無、

本音どころか
話す友人さえいない
知らない土地での生活。

唯一の相手であるパートナーも
家にほとんどいなくて

淋しくて淋しくて

独りぼっちの淋しさを
なんとか埋めようとしていた。

独りぼっちの寂しさを埋める
その間だけは
子どもを授かれない自分を
責めて過ごすことをしなくて、済んだ。

気が紛れたのです。

ツラい思いをしないところを
必死に探していた。

(涙に暮れる日々から抜け出そう。)

そればかりやっていたら
いつの間にか
赤ちゃんのことは、忘れていた。

– – – – –

結局
我が家へ、赤ちゃんが来ることは
ありませんでした。

結婚17年目。
私は今年、47才になります。

私という母体に子どもを授かることは、
恐らく、ないでしょう。

– – – – –

ここまで来る途中で
3つ、わかったことがあります。

【1つめ】

人生において学び方は人それぞれで

私の場合は、
学ぶためのツールが「育児」ではなかった。ということ。

【2つめ】

モヤモヤするときは
四の五の言わずに
目の前のことに真剣に取り組めばよい。

集中しているうちに、
頭の中は整理整頓される。

【3つめ】

自分の肉体で産もうとするから
タイムリミットがあるだけで

何歳になっても、老いても、
育児をしたければ、
おばあちゃんになってからでも可能。

親がいない子が
世界中にどれだけいるか?
そう思えばね。

私の人生における学びのツールが
足についての追求と
今行っている生業だと思っています。

ですから

アシタスタイル・メソッドと
ASHITASTYLEサロンは
私の子どもです。

私の中で、育んだ、我が子。

私が命がけで産み出した、我が子。

同時に
アシタスタイルのスタッフや
アシタスタイルのお客様は

孫のように思えます。

愛しくて
可愛くて
大切で、大切で、たまりません。

井手口雅恵が
こんなにがむしゃらに仕事をするのも

使命感丸だしで
仕事に取り組むのも

命がけで、アシタスタイル・メソッドを伝えているのも

あなたが親なら
分かってもらえるかな?

アシタスタイルはね

私の母性のやり場で、

私の母性、そのもの。です。

 

お付きあいくださりありがとう。

これが
私が仕事をする本当の理由。

あなたが産んだ子を
責任をもって一生守り育てるように

私も、私が産んだ子を
責任をもって、一生守り、育てる。

私を必要としてくれるあなたがいるから

私は表現ができるんです。

あなたが居てくださって、嬉しいです。

私が存在する意味を、あなたの存在のおかげで、確認できます。

– – – –